東島自治会(ひがしじまじちかい)
東島自治会は、赤根川東側の海岸沿いに面する、こじんまりとした自治会です。
2013年3月末に、住吉神社拝殿の屋根瓦、往来の赤瓦から黒瓦へ改修しました。燻し銀に輝く堂々とした拝殿に蘇りましたので、お散歩がてら見に来てください。お賽銭も忘れずに。
2013年3月末に、住吉神社拝殿の屋根瓦、往来の赤瓦から黒瓦へ改修しました。燻し銀に輝く堂々とした拝殿に蘇りましたので、お散歩がてら見に来てください。お賽銭も忘れずに。
世帯数 | 267世帯 |
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発足 | 約1270年前には、村として存在 |
役員 | 会長1名 副会長2名 会計1名 会計監査1名 総務1名 防犯1名 理事2名 |
施設 | 公民館 老人憩いの家(住吉神社境内) 少年自然の家 |
文化財 | 布団太鼓一基 子ども神輿一基 |
史 跡 | 住吉神社 長楽寺 定善寺 江井島港 江井島の泊り史跡 等 |
活動内容 | 秋祭り(10月第3土・日) 精霊流し 除夜の鐘撞き 初詣 |
東島について
東島は、昭和の時代まで半農半漁の村として栄え、江井島港は、地場産業であった瓦や酒の搬出で栄えましたが、今は、漁獲高も減少し、瓦産業もなくなり、出入りしていた機帆船もなくなったので、その面影は遠い思い出となりました。
昭和の時代を懐かしむお年寄りの話では、八百屋、酒屋、金物屋、船大工やブリキ屋や食べ物屋も営業していていて、生活の買い物には不自由しなかったように聞いています。わずか半世紀あまりで、生活環境が大きく変化してしまいました。
毎年恒例となっている「精霊流し」行事は、4自治会のご協力を得て行っておりますが、昨年その長年の功績が認められ、県民局長表彰を頂きました。ここにご報告します。
昭和の時代を懐かしむお年寄りの話では、八百屋、酒屋、金物屋、船大工やブリキ屋や食べ物屋も営業していていて、生活の買い物には不自由しなかったように聞いています。わずか半世紀あまりで、生活環境が大きく変化してしまいました。
毎年恒例となっている「精霊流し」行事は、4自治会のご協力を得て行っておりますが、昨年その長年の功績が認められ、県民局長表彰を頂きました。ここにご報告します。
江井島の史跡(長楽寺)
浄土宗西山禅林寺派 玉林山 宝樹院 長楽寺 由来のある寺院で、聖武天皇の天平16年(744)に行基が魚住の泊(港)を築いた時、平安を祈って地蔵尊を彫り、この寺を建てたのがはじまりです。この地蔵尊は「御崎地蔵尊」と呼ばれ
村の中心に位置する長楽寺には次の記述(立て看板)があります。
天平十六年(744)行基菩薩の開基、建永二年(1207)三月、法然上人が四国に流される時、教化を受け浄土宗になったといわれています。 明和年中(1764〜1771)に開かれた寺子屋が、明治4年に郷学校、翌5年には明石最初の小学校である貫道小学校(今の江井島小学校)となりました。 記述にあるように、約1270年前には、村として存在し、江井島小学校の校歌にある「明治4年にはじまり」の由来となっています。
天平十六年(744)行基菩薩の開基、建永二年(1207)三月、法然上人が四国に流される時、教化を受け浄土宗になったといわれています。 明和年中(1764〜1771)に開かれた寺子屋が、明治4年に郷学校、翌5年には明石最初の小学校である貫道小学校(今の江井島小学校)となりました。 記述にあるように、約1270年前には、村として存在し、江井島小学校の校歌にある「明治4年にはじまり」の由来となっています。
東島住吉神社
長楽寺の西側に隣接して、東島住吉神社があります。神社の創建は、これも定かではありませんが、正面の大鳥居には「文化15年」(1818)の刻印が見えますのでそのころには存在したと考えられます。
かつては、盆踊りでも賑わいましたが、今は東江井、西江井と3自治会で行う「秋祭り」の賑わいを残すのみとなりました。毎年続けられている年越し行事は、長楽寺で除夜の鐘を撞き、隣の住吉神社では初詣をするのが恒例となっています。
かつては、盆踊りでも賑わいましたが、今は東江井、西江井と3自治会で行う「秋祭り」の賑わいを残すのみとなりました。毎年続けられている年越し行事は、長楽寺で除夜の鐘を撞き、隣の住吉神社では初詣をするのが恒例となっています。
トピックス
2013年3月末に、住吉神社拝殿の屋根瓦、往来の赤瓦から黒瓦へ改修しました。燻し銀に輝く堂々とした拝殿に蘇りましたので、お散歩がてら見に来てください。
お賽銭も忘れずに。
お賽銭も忘れずに。